むしろ失敗はするべき!新しい心の教科書『失敗図鑑』
今回紹介する書籍は、大野正人さんの『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』
失敗したどうしよう?落ち込んだり、恥ずかしい思いをしたり、悲しかったり、なんとかごまかそうとする人もいるかもしれません。
でも失敗に対して「ラッキー」と思うことができるとどうでしょう。
かの有名な発明王、エジソンは失敗ではなく「1000回うまくいかない方法を発明しただけだ」こう言ったのです。
成功につながるのが失敗なのです。もっと言うと成功の反対は失敗ではなく、正しくは「挑戦しないこと」なのではないでしょうか。
それでは世界に名を残したスゴイ偉人たちから、失敗をどう乗り超えたか見ていきましょう。
目次
にげ出す
二宮金次郎と言えば、本を読みながら歩いている銅像が有名かと思います。本名は、二宮尊徳と言い、金次郎は別名です。
今ではすっかりこの銅像を見る機会は減りました。この二宮金次郎が何をした人物化を知っている人はあまり多くないでしょう。
金次郎はまさしく絵に書いたような優等生でした。それを象徴するエピソードも残っています。
金次郎が12才のころ、村の川の水が流れないように、土手を作る工事を行うようになりました。
(中略)
まだ、子どもだった金次郎は、一人前の働きができず、このことを心苦しく思いました。そこで、家に帰った後、「わらじ」というはきものを人数分作り、次の日、「ケガのないように」と村人たちに配ったのです。
金次郎はできないことを諦めず、「自分ができることでカバーする」。そんな発想ができる子だったのです。
これは見習うべきいい教えではないでしょうか。
その後、金次郎は農村復興に取り組み、見事な貢献をしました。それもまさに幅広い「知識」と、それを生かす「知恵」、人を評価するための「正しい心」を持ったスーパー優等生・金次郎にしかできない仕事でした。
現代で言うと、ファイナンシャルプランナーという職業が金次郎に当てはまる気がします。
しかし金次郎にも失敗をいくつもしています。一つ取り出すと「にげ出す」という失敗です。
農民のために全力を尽くしていたのですが、逆に武士からは反感を持たれてしまっていました。悪口を言われ、耐えきれなくなった金次郎はその村から逃げ出したのです。
逃げ出すというのは、ものすごくかっこ悪いことのように思っているかもしれません。しかし決して悪いことではありません。どんなに辛くても逃げずに頑張り続けることは大変なことなのです。
大事なのは、逃げた後の行動です。金次郎は心を落ち着かせ、自分と向き合いました。そして「二度と逃げないために、どうすればよいか」を考え、行動できれば、逃げたっていいのではないでしょうか。
「イケてない」と言われる
ファッションの歴史を変えたと言われるデザイナー、ココ・シャンネル。シャネルのブランドも有名ですよね。しかし、彼女の人生は決して華やかなものではありませんでした。
12歳のとき、母が亡くなり父にも捨てられ、18歳まで孤児院で過ごしたようです。
見事デザイナーとしてデビューした彼女は、パリなどに店をかまえ、女性用のファッションをガラリと変えました。
世界中の女性から愛されたシャネルでしたが、これは戦争前の話。戦争でそれどころではなくなり、人々はファッションに見向きもしなかったのです。
戦争が終わると、人々は再びファッションに関心をもつようになりました。しかし、シャネルの服は古いとされ、流行りが変わっていたのです。
それでもシャネルはめげませんでした。それどころか、ひどいことを言われたことで再び心に火がつき、その後もさまざまな服を作っては発表していきました。
すると、ついに認められたのです。それは今まで主に活動していたフランスではなく、遠く海を越えたアメリカでした。アメリカでの人気ぶりが影響して、フランスでも認めら、のちに世界中で今でも残る有名ブランドとなったのです。
さて、シャネルが経験した「イケてない」という失敗ですが、これは多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。
「センスない」「ダサい」などと、一度は言われたことがあるかもしれないし、誰かに言ったこともあるかもしれません。
でもそれは、「ここでは認められなかっただけ」「あなたには認められなかっただけ」という可能性もあるのです。
あなたが思っているよりも世界はもっともっと広いものです。だから、自分のことを認めてくれる場所が、必ずあります。そんな場所が見つかるまで諦めず、「自分の世界」を広げていきましょう。
引きこもる
今でも世界に多くの読者を持つ、日本を代表する作家である夏目漱石。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『こころ』など、学校で学んだものもあるでしょう。
そんな彼も当然失敗をしています。
英語の先生をしていた漱石は、国からお金をもらい、イギリスのロンドンまで英語を研究しにいきました。
しかし、ロンドンには漱石にとってツライ現実が待ち受けていたのです。街を歩く人たちは、みな背が高く、美しい顔の人ばかり。さらに国からもらったお金では生活するには足らず、みすぼらしさから、みじめな気分になっていたのです。さらに極め付けは、英語の先生だった自分の英語が全く通じなかったのだとか。
やがて、外に出るのも嫌になり、いわゆる「引きこもり」になってしまったのです。
もちろん、英語の研究が成功するわけがなく、この研究は大失敗に終わり、漱石は途中帰国しました。
すっかり自信を失ってしまった漱石でしたが、友人の勧めで小説を書くことに。こうして生まれたのが『吾輩は猫である』です。
その後も立て続けに作品を発表し、またたくまに一気に人気小説家となったのです。
これもすべてロンドンでの大失敗があったからこそです。もともと漱石はよく考える人だったようです。しかしただ考えるだけでは意味がありません。自分の考えたことを形にする。表現するということが大切です。
漱石が小説を書くことで、頭の中のモヤモヤを形にしたように、何か形にできるものを見つけるチャレンジをして見ることをおすすめします。
得意なこと以外、まるでダメ
「天才」という言葉にもっともふさわしい人こそ、アルベルト・アインシュタインではないでしょうか。「相対性理論」を作り上げた人として知られている物理学者ですが、初めから天才だったわけではありません。
「のろま!」「バカ正直!」
なんとこう呼ばれていたのが、小学生時代のアインシュタインです。彼は3歳までまともに人と話すことができず、9歳くらいまで言葉を正しく使えなかったと言います。
勉強も数学以外はまったくダメだったのです。いわゆる落ちこぼれであったことがわかっています。
能力のバランスも大きく偏っていたことでしょう。
もちろんなんでもできる人は立派なことです。でも何か一つでも突き抜けるものがあれば、それだけでも生きていけるのです。
算数以外まるでダメだった子ども時代を過ごしながらも、成長して物理学者となり、相対性理論で世界の学者たちに感動を与えたアインシュタインが、よい例です。
今、現段階で得意なものがなくても問題ありません。
「わたしは天才ではない。ただ、人よりも長く、ひとつのことに向き合っただけだ」
アインシュタインはこう言います。その中で間違いや失敗はつきものです。
だからこそ、失敗を恐れず、苦手なことを気にしすぎず、好きなこと、得意なことを心から楽しみましょう。
コンプレックスを抱える
大女優、オードリー・ヘプバーン。彼女は主演映画『ローマの休日』をきっかけに大きく飛躍していきました。
世界中の恵まれない子どもたちのために活動し、これによって助けられた命もたくさんありました。
「永遠の妖精」なんてキャッチコピーもつくくらい、まさに天使のような美しさで世界中から愛されたオードリー。そんな彼女にも失敗があったのです。
なんと、オードリーは「自分のことを美しいと思ったことがない」と言っています。痩せすぎた体、四角い顔、大きな鼻、高い身長、小さな胸、大きな足…‥。これらすべてコンプレックスだったのです。
実は当時人気があった女性は今のモデルのような人ではなく、オードリーとはまったく違うものでした。丸みのあるやわらかい顔、スッと細く通った鼻、身長はそれほど高くなく、ふくよかな体、大きな胸……。このような女性が人気だったのです。
オードリーはそんなコンプレックスに対して美しいと感いてもらえるよう努力したのです。
女らしさは、体で表現しなくても作ることができます。たとえば、木からリンゴをとるしぐさとか、車から下りるしぐさとかね」
多くの人が自分の顔や体、性格など、何かコンプレックスを抱えているでしょう。まずはその部分から目を逸らさず、じっくり見つめてみましょう。
ファッション、メイク、体つき、しぐさ、心の持ちかた、言葉づかい、こっらはすべて「かわいい」に関係していますが、すべて努力で変われるものでもあります。
もちろん努力は並大抵ではないでしょう。時間だってかかってしまいます。でもいつか、自分のコンプレックスに対して「ま、いっか」と思える日が来るかもしれません。
コンプレックスさえも自分の一つの個性として認められるようになれればいいですよね。