新渡戸稲造が記した、 古き良き日本の精神「 武士道」とは!?

新渡戸稲造が記した、 古き良き日本の精神「 武士道」とは!?

今こそ私たちはもう一度「日本人とはなにか」を問い直すべきだ


かつての日本には、わが国固有の伝統精神がありました。「武士道」もそのうちのひとつです。外国人の間で「サムライ」というのがカッコイイと知れ渡るようになってきました。日本は野球が世界的に見ても強いスポーツでありますが、日本代表の野球チームを「侍ジャパン」と呼んでいます。


文明開化の真っ只中であった当時、怒涛の如く押し寄せる西洋の新しい価値観によって、社会全体がことごとく西洋化していました。その変わりゆく姿を見て、新渡戸稲造さんが、「日本人とはなにか」を問い直そうと考え作成したのが、武士道です。



今回紹介するのは、それを現代語訳したものになります。いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道』です。


今こそ、我々の先祖が歩んできたもの歴史など、もう一度「日本人について」考えてみるのもよろしいのではないでしょうか?

 

 

 

 

目次

 

  1. 義は人の道なり

  2. 義を見てせざるは勇なきなり

  3. 「仁」が王者の徳と言われる所以

  4.  最も重視された「品格」

 

 

 

 

 

義は人の道なり

 

「義」は、武士の掟の中で、もっとも厳格な徳目である。


著者の新渡戸稲造さんはこう述べています。武士、サムライにとって卑劣なる行動、不正なふるまいほど忌まわしいものはありませんよね。

ただこの意味合いではあまりにも狭すぎるし、限定し過ぎかもしれません。もっと広い意味で使われても良いはずです。

「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべきときには死に、討つべきときには討つことである」


林子平は、決断する力と定義しました。


「仁は人の良心なり、義は人の道なり」という有名な言葉を残した孟子でしたが、のちに「仁」と「義」がずれた世界を見てこういったと言います。

「その道を捨てて顧みず、その心をなくしても求めようともしない。哀しいかな。鶏や犬がいなくなっても探すことができるが、心をなくしては探しようがない」



つまり、孟子によれば「義」とは、人が失われた楽園を取り戻すために通らなければならない、真っすぐな狭い道のことだと言えるでしょう。


封建制の末期の時代には、「義士」という呼び名は、学問や芸術の熟達を意味するいかなる言葉よりも「優れた者」と考えられていたようです。

 

 

 

義を見てせざるは勇なきなり


義と双子の関係にあるのが、「勇」です。勇ましい徳という意味がありますね。


孔子は『論語』において、否定的な論法で「勇」の定義を説きました。

「義を見てせざるは勇なきなり」


これを肯定的に捉えるとすれば、「勇とは正しきことを為すこと」であると言えます。

だが、現在では勇気と同一視されています。命を投げ出し、死の淵に臨むという行為は、賞賛される者ではありません。「犬死」となっても遜色ありませんよね。

「戦場に飛び込み、討ち死にするのはいともたやすきことにて、身分の 賤 しき者にもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である」


と、水戸義公は言いました。


さらにプラトンという人は、勇気とは「恐るべきものと、恐るべきものを識別すること」だと定義しています。


軍記物語など、勇気ある者が手柄を立てる話は、少年たちが母親の胸に抱かれている頃から繰り返し何度も聞かされていたのだとか。さらに、剛胆、不屈、勇敢、大胆、勇気などは、少年の心のもっとも浸透しやすい心情であったため、訓練や鍛錬によって鍛えられていた。


勇気と一緒に忍耐も鍛えられ、スパルタのように厳しき育てられたのが武士であったのです。


実に勇気と名誉は、ともに価値ある人物のみを平時の友とし、戦場の敵とすべきことを求めている。勇気がこの高さに到達するとき、それは「仁」に近づく。

 

 

 

「仁」が王者の徳と言われる所以

 

愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂がもつあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認められてきた。


「王者の徳」ともされています。理由は、多くの徳のなかでも特に光り輝く徳であり、偉大なる王者にふさわしい徳であるからです。


シェークスピアも、孔子や孟子も民を治める者が必ず持たねばならない最高の徳として、この「仁」を幾度となく説いています。


孔子と孟子は二人とも、仁の徳を説き、「ゆえに仁は人なり」と定義しました。つまり、仁がなければ人ではない、ということです。


当時は封建制度で、武断政治に陥りやすいところですが、「仁」の精神のおかげで最悪の専制政治にならず、人民が救われたのです。



武士の情けとはよく言われますが、これは力ある者の慈悲であると著者は言います。

仁は、優しく柔和で母のような徳である。高潔な義と厳しい正義が男性的であるとするなら、仁における慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。だが、サムライたちは正義や公正さを持つことなしに、むやみに慈悲に溺れることを戒められた。伊達政宗がいったという、「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」との有名な言葉は、このことを表している。



慈悲というのは、美しいものです。しかし、珍しくはなかったのです。なぜなら、「もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である」ということが、普遍的な真理とされていたからです。


だから「武士の情け」という言葉には、私たちの心情に訴える美しい響があったのです。


孟子は、仁の心をもっている人はいつも、苦悩する人、辛苦に耐えている人、弱き人々を思いやる人だ、と説いたのです。


これは今もなお、道徳の基本として、引き継がれる概念であるでしょう。

 

 

 

最も重視された「品格」


武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成でありました。それに対して思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重視されなかったようです。


知能が優秀であることはむろん尊ばれましたが、単なる知識は従属的な地位しか与えられなかったのです。

武士道の枠組みを支える三つの柱は「智」「仁」「勇」とされ、それはすなわち「知恵」「仁愛」「勇気」を意味した。


サムライにとって学問は行動範囲の外に置かれました。文学は暇をまざらす娯楽として求められ、哲学は品格を形成する助けになるとして学ばれていたのです。


教育という点においても、武士道が大きく反映していることがわかるでしょう。

 

 

 

 

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