今を生きる人間こそ、仏教の教えをヒントにするべき!?『仏教って何ですか?』

今を生きる人間こそ、仏教の教えをヒントにするべき!?『仏教って何ですか?』

仏教とは!?誕生から、今後の可能性を紹介


「そもそも仏教ってなに?」
「日本は、無宗教?それとも仏教国?」

仏教についてなにも知らない人向けの記事です。悩み、苦しみにとらわれることの多い現代人こそ、仏教を学んで欲しいと思います。


この記事は、池上彰さんの書籍池上彰と考える、仏教って何ですか?』の内容を感想・まとめた内容となっています。


この機会に、改めて仏教のことを学んでみませんか?

 

 

 

 

目次

 

  1. 仏教の真髄であろう「諸行無常」

  2. 煩悩がある限り苦しむ「一切皆苦」

  3. 大乗仏教の誕生

  4. まとめ

 

 

 

 

 

仏教の真髄であろう「諸行無常」


「諸行無常」という言葉は、もしかしたら『平家物語』の方が聴き慣れているかもしれません。日本人なら一度は聞いたことがあるはずの『平家物語』の冒頭です。

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅雙樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。



この句には、ブッダの教えが込められているようです。

「祇園精舎」とは、ブッタが過ごした僧院であり、「沙羅雙樹」はブッタが入滅する直前に供えられていた花の名前です。


ここにある「諸行無常」という真理こそ、ブッダの基本的な教えのひとつです。  
諸行(あらゆる物事) は無常(同じままとどまることはない) であるということです。



物も人も、人の心も、人と人との関係も、すべては移り変わっていきます。昨日と今日では違いがあり、明日はまた別の姿となるのです。

美しい花だっていつかは枯れてしまいます。ブッダでさえも命には限りがあります。今の日本は大変平和ですが、このままずっと続くのかはわかりません。


言われてみれば、この世は無情であることに気づくはずです。実際、すべての存在、現象は移り変わって、同じところにとどまることはありません。

諸行無常とともに仏教の基礎となるのが「 諸法 無我」。すなわち、私というものに実体はないということです。



私たちは常に、自分と他人との間に境界線を引き、自分と他人を区別します。このことを分別といい、仏教ではこの分別こそが、苦しみの原因だと説きます。


すべての物は不確かで変化するものだから、私という実体も存在しない。そう理解することで、他人と比べたり執着したりするなどの様々な苦を遠ざけることができる。それが諸法無我の考え方です。



100パーセント割りきるのは難しいでしょうが、「諸行無常」「諸法無我」なのだから、人生うまくいかないのな当たり前です。ブッダの教えを学ぶことで苦しみから解放されるかもしれません。

 

 

 

煩悩がある限り苦しむ「一切皆苦」


「四苦八苦」という言葉をみなさん知っていますよね。

四つの苦とは、生まれてくる苦しみ、老いる苦しみ、病にかかる苦しみ、死ぬ苦しみという、すべての人に避けられない苦です。



さらに、四つの苦を加えたものが、「四苦八苦」です。

愛別離苦……愛する人と別れる苦しみ  
怨憎会苦……嫌な相手と向き合う苦しみ  
求不得苦……求めても手に入らない苦しみ  
五蘊 盛 苦……五感や心のはたらきが生む煩悩を制御できない苦しみ
 
 

実にこの世は、苦しいこと連続です。この考え方を「一切皆苦」と言います。

ブッダはすでに教えてくれています。うまく行かなくて苦しんでいる人も、人生とは苦しいことがあって当たり前なのです。



原因だってわかっています。それは煩悩です。仏教では根本的な煩悩を三つ、「貪り、怒り、愚か」としています。


俗に言われる108の煩悩と言われるように、私たちは終始、煩悩に心をかき乱されています。とは言ってもそれが人間らしさでもあり、人生ですよね。喜怒哀楽といのも、素敵なものです。


よく悟りを開くなんて表現をしますが、煩悩をコントロールし、苦しみを完全に抜け出した状態を「涅槃寂静」と呼びます。


ブッダは実際に、涅槃の境地に到達しましたが、容易ではありません。おそらくほとんどの人間には不可能でしょう。ですが気をつけることはできます。



ブッダは、1カ所に長くとどまることなく、一生、旅を続けていたようです。決まった居場所をもうけてしまうと、その場所や人間関係にとらわれて、離れがたくなってしまうからだと言います。


さらに、持ち物が増えたら、それを守りたくなったり、別のものが欲しくなったりしがちなので、増やさなかったのだとか。



「あれ?」って思いませんでした?

この考え方は、最近注目を浴びてきたノマドワーカーミニマリストです。世界中を旅しながら働いたり、物欲を減らし最低限のモノで十分という考え方ですよね。




もしかしたら、今を生きるヒントはすでにブッダが教えてくれているかもしれません。
 
 
 
 
 

大乗仏教の誕生


ブッダが今の仏教を見たらどう思うでしょうかね?

ブッダの時代から今日までの、20500年の間には、実に大きな変化がありました。そもそもブッダは、弟子たちに対面で教えを説いていました。ですから現代に伝わっているものは、弟子たちが書き残したものです。

ブッダの時代のルールをそのまま守りべきだという保守派と、時代に合わせてルールを変えていくべきだという改革派の二つに分裂します



改革派は、大乗仏教へと変化していきました。

大乗仏教がもっとも大切にするのは利他です。利他とは、自分のことはさておいて、他の人が、あるいは他の生き物が幸せになれるように行動する姿勢です。



また、そのように、利他の行ないをしている人のことを菩薩と呼びます。誰だって心だけで菩薩です。僕も菩薩になりたいですね。



日本では、ほとんどが大乗仏教です。僧侶でなくても、仏教を学べますし、誰でも悟りの境地を目指すこともできます。

しかし、タイやミャンマー、スリランカでは、今でも保守派の上座部仏教が主流だそう。修行して僧侶になった人しかダメのようです。

他にはお酒を飲んでもいいなど、欲に対してもそこまで厳しくないのが、大乗仏教の特徴です。

 

 

 

まとめ


日本での仏教の立ち位置は、葬式仏教になっています。もちろん例外はあるでしょうが、多くの人が、火葬する仏教徒の死者の弔いかたでしょう。


仏教が追求した人間の心の機能やトレーニングは、信仰の有無にかかわらず今日幼稚して非常に役立ちます。マインドフルネス瞑想は話題ですが、仏教そのものに逆境を乗り越える技術がたくさんあります。


私たちの寿命が長くなったことで、「死」について考える時間が増えていくかもしれません。死ぬことは誰しもが怖いことです。


「意義ある人生を過ごすことができれば、死に直面したとき、たとえ死への恐怖があったとしても、後悔すべきことはほとんどありません。後悔することがなければ、死を恐れる気持ちもずっと少なくなります」



これはダライ・ラマ法王の言葉です。死ぬ時の公開をいかに無くすかというのが、生きているうちにやるべきことかもしれません。


仏壇の位牌には、「戒名」が書かれます。その戒名を生きているうちに考えてはどうかというのが、池上彰さんの考えです。

なぜなら、戒名を考えるというのは、自分が生きたことによって残してきた足跡を総括し、人生の到達点を考えることにつながるからです。


生きているうちに戒名を考えてみるのは、よりよく生き、悔いを残さず、よりよく死ぬためのレッスンと言えるでしょう。

 

 

 

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