あなたの悩みを助ける! 仏教に学ぶ『お釈迦さまの処方箋』

あなたの悩みを助ける! 仏教に学ぶ『お釈迦さまの処方箋』

お釈迦さまに学ぶ生きる智慧


お釈迦さまは、人生の小さな石や大きな石につまづき、悩み苦しんでいる人々に法を説き、苦しみから救った方です。


よくお釈迦さまを「偉大な医者」に喩えられることがありますが、肉体的な病気を治したわけではありません。あくまで「心的な病や苦悩」です。どちらかというと、「精神科医」や「カウンセラー」といったところでしょうか。


今回紹介する書籍は、悩みによく効く! お釈迦さまの処方箋 』です。

本書では、さまざまな悩みに応じて、それに最もふさわしいと思われる言葉を処方してくれます。あなたの悩みもお釈迦さまの処方箋で解決するかもしれません。

 

 

 

 

目次

 

  1. お釈迦さまの評価こそ最高の評価

  2. 人は無一物で生まれ無一文で死ぬ

  3. 教育は、強育でなく共育で

  4. 数ではなく、”真の友人”を

  5. 智慧こそが人生の資本

  6. 行動すべきときは、今

 

 

 

 

 

 

お釈迦さまの評価こそ最高の評価


「自分の成果を周りが認めてくれません」


私たち人間にとって、自分ほど可愛い存在はありません。自分を評価してほしい、認めてほしいという感情は、ごく自然な欲求のひとつです。


もっとも簡単に自分を確認できる手段が「鏡を見ること」です。毎日何気なしの鏡を見るかと思いますが、実はこの行為は自己の存在を確かめているのかもしれません。もし、鏡にあなたが写っていなかったら、慌てふためくと思います。


鏡と同じように他者からの評価も、自己の存在を確かめる鏡なのです。

浅き川は音を立てて流れ
深き川は自ら静かなり。
(『経集』)



弱い犬ほど良く吠えると言いますよね。この経典をわかりやすく解説すると以下のようになります。

浅い川ほど激しく音をたてて流れます。逆に、強い犬は堂々として騒ぎ立てることはありませんし、深い川は静かに蕩々と流れるだけです。ともすると、できていないからこそ、できたことを強調するため、必要以上に騒ぎ立てることすらあります。



評価を気にするのであれば、人の評価ではなくて、お釈迦さまの評価を気にしましょう。

とはいっても、お釈迦さまが実際に言葉で評価してくれるわけではりません。そこでおすすめなのが、仏教の行動規範に照らして振り返ってみることです。


お釈迦さまはきっと見てくれています。


「お釈迦さまの評価こそ最高の評価」と信じ、自分の行動を見つめ直してみてはいかがでしょうか。


きっと周りに振り回されなくなりますよ。

 

 

 

人は無一物で生まれ無一文で死ぬ


「私には身寄りがありません。築き上げてきた財産がどうなるかを考えると腹正しくもあり、空しくもあり……


人間とは非常に勝手なもので、自分に必要なものがないときは不平をもらし、あったらあったらでそれを失うのを恐れます。


まさに「ないものねだり」なんです。

「わたしには子がある。わたしには財産がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自分さえ自分のものではない。どうして財産が自分のものであろうか。
(『法句経』)



このように、自分さえ自分のものではないのに、どうして自分の所有物と言えるのでしょうか。自分さえ思いのままにコントロールできないのに、どうして自分以外のものを思いのままにコントロールできるでしょうか。


執着にとらわれている感じたときには、人間が生まれた時と死ぬ時を想像してみましょう。


人間は無一物(何一つ持たないこと)で生まれ、無一物で死んできます。いくら財産を集めても、一円さえ次の世には持っていけません。持っていけるのは積み上げた業(行為)だけです。



そう考えると、生きている間に蓄えておくべきは、財産ではく善い行い(善業)となりませんか。


いずれにせよ、無一物で生まれてきたのなら、無一物でこの世と別れを告げるというのがいたって自然なことなのです。

 

 

 

教育は、強育でなく共育で


「子どもがいうことを聞かないと、すぐ怒ってしまいます」


子育ての大変さはなかなか経験したものにしかわからないものがあるように思いますが、悩みが多い分野でもあります。


一般的には、「子どもは未熟で、教育されるべき対象」となり、「大人はすでに人格を完成させた、教育する側」と捉えがちですが、そんなことはありません。


仏教では、人間死ぬまで修行の身です。「もうこれで完璧」なんてことはまずありえません。


余を教えんと欲せば、まず自らを教えよ。
(『仏治身経』)



子どもを教育するには、まず大人自身が自らの人格を育てる必要があるのです。自分ができていないことを子どもに注意して矯正させるなど、甚だ間違っています。


教育は「共育」



つまり、「子どもも大人も共に育つこと」ではないでしょうか。くれぐれも「大人が子供に強制的に教育するような”強育”にならないように気をつけましょう。

 

 

 

数ではなく、”真の友人”を


「友だちが少ないことを引け目に感じてしまいます」


友達は多い方がいいというわけではありません。問題は数よりも質ではないでしょうか。

真の友達とはなにか、それを考える上でおすすめの経典を紹介します。

朋友に三つの要法あり。
一つには過失あるを見てはこれを諌め暁し、二つには好事ある時は深く随喜し、三つには苦厄においても捨てざるなり。
(『過去現在因果経』)



わかりやすくまとめると以下のようになります。

①その人の欠点を明らかにし、ちゃんと注意する。
②その人が喜んでいるときには、自分も心から喜ぶ。
③相手が困っているときには、親身になって助け、見捨てない。



こうした親友と呼べる友人はなかなかいないものです。決して友人だけでなく、人付き合い全般に対しても当てはまるのではないでしょうか。


人は決して一人では生きていけません。でもたくさん数がいればいいわけではありません。共に支え共に生きる、そんな真の友人関係を大事にしましょう。

 

 

 

智慧こそが人生の資本


「知人のもうけ話に乗って、大金を失くしました。はらわたが煮えくり返る思いです」


仏教の教えによれば、人間には生まれながらにして煩悩(心の汚れ)があります。煩悩は全部で108あるといわれていますが、煩悩がなければ喜びも悲しみもありません。


うまい話に乗っかってしまうケースも、人間の煩悩が原因です。失くしてお金を取り戻すことは難しいかもしれません。


このような場合は、切り替えるしかありません。


財を失うことの失は小なり。
失の最も大なるは智慧の失なり。
(『増支部経典』)



経典にあるように、財産を失うことの損失は痛いかもしれませんが、小さいものだと言えます。それ以上に大きな損失は智慧を失うことです。


智慧とは、ものごとを正しく理解し、決定するはたらきを意味する言葉です。


今後の人生をよくする「よい教訓」として、智慧を磨く努力をしましょう。

 

 

 

行動すべきときは、今


「過去の失敗を引きづって、前向きになれません」


「後悔」とはよく言ったもので、”前悔”なんてものはありません。人間誰しもが一度は後悔したことがあるはずです。


しかし、過去はもう字の如くもう過ぎ去ってしまっているので、追い求めても無駄です。当たり前ですが、私たちが生きられるのは今という瞬間だけです。


お釈迦さまの言葉以外にも、中国では「覆水盆に返らず」、英語圏では「It is no use crying over spilt milk(こぼれたミルクを嘆いても仕方ない)」といった諺があるので、後悔するのは万国共通みたいです。


過去を追うな。未来を願うな。
過去はすでに過ぎ去り、未来は未だ来ていない。(中略)
今やるべきことのみを熱心になせ。
明日死ぬことを誰が知っていようか。
(『中部経典』)



仏教は今やるべきことに熱心のやる根拠として、「明日には死んでいるかもしれない」という「死の自覚」を説いているのです。


とても逆説的な考え方ですが、理にかなった方法と言えます。


「このままでは死んでも死にきれない」と後悔せぬよう、今を生きましょう。

 

 

 

Booksカテゴリの最新記事